Studiomk: うつ病の夫が死んだはなし
10月12日、命日を迎えて。しばらく書く気持ちになれなかったブログを、少し書きたいと思います。
今日で、夫がこの世を去って、1年が経ちます。
長かったのか、短かったのかは、分からないのです。
あの日から、まるで異次元の世界に暮らし、今までの生活が、幻だったのではないか、夫も本当は、最初っから居なかったのではないか。私も本当は、死んでいるんじゃないだろうか。あの日より前と、あの日から後が、あまりにも違いすぎて、この1年と言う日々がなんだったのかが、よく分かりません。
辛い、寂しい、苦しい、悔しい。
それらの気持ちももちろんあるけれど。
あの日からの毎日の気持ちを現す、一番の言葉は、、、
「つまらない」この言葉だと思います。
落ち葉一つ見つけても、二人で居ると楽しくおもしろい話をいつもして、互いが一人の時間に見たすべての光景を、互いに報告し合い、私が話す話は、いつもオチが伝わらないよ、と言いながらも、笑ってくれる相手がもう、居ない。
一番の親友で、一番の家族。彼こそが、私こそが、家族だったみたいです。
そんな大事な人が、一人で違う世界へ行ってしまった。行かせてしまった。差し伸べる手があともう少し、ほんの少し近ければ、今も居たかもしれない。
健忘症の種類
死にたかったんじゃない。
生きたくても、死ぬほど苦しい日々にもう、光が見えなくなったんです。
そんな彼を、それでも責められるのでしょうか?命を粗末にした、と。
今あたりまえのように普通の暮らしを享受している人たちが、彼の過した4年半の辛い日々を、過せるのだろうか。
目に見えない病魔。人からは、さぼっている、いじけているだけ、そう言われ、お腹一杯になるほどの量の抗鬱剤を飲まされ、ちょっとずつ自分の体が心が、余計におかしくなっているのを感じていても、飲みだした薬はもう止められない。
きっといつか治る日が来るから、その日まで、と周りにも言われ、自分にも言い聞かせ、でも、この薬を止められる日は、生きるのを止めた日なのではないか。。。
夫に言われた衝撃的な言葉があります。
あまりにもひどく、朝まで私を罵り、疲れ、逃げたかった私は、死ぬ気もないのに「もう、一緒に死のうか」こう言いました。その時の脳裏には、私がそこまで悩んでいるんだ、そう気づいて欲しい計算があった私に、彼が言った言葉。
「うん、いいよ。死ぬ事なんて、オレ毎日考えてるよ。この命が、明日目が覚めた時、止まっててくれないか、そう思って抗鬱剤も睡眠薬も飲んで寝るんだから。朝日が昇ってるよ、いつもオレが寝る時は。」
にきび治療市場の歴史硫黄にきびの薬
ごめんなさい、ごめんなさい。死なないで、死なないで。頭を下げて、泣いて謝るしか出来ませんでした。私が思うよりもはるかに、彼は苦しんで苦しんで。
この苦しみの日々を、彼は自殺という手段で、時を止めた。
私には、彼の選んだ手段を、世間の人々が言うようには、思えない。命を粗末にしたのは、自殺した人ではない。それが分かって欲しくて。。。
人は言います。
「どうか自分を責めないで。早く乗り越えて、前を向いて下さい。」
夫が死んだと知ると、必ずや言われるこの言葉。でも、聞き飽きるぐらい言われたこの言葉に、救われた事は、ありません。
本当は、もっと別の言葉を聞きたいのです。
「あなたの旦那さんは、がんばったんですね」
そう、言って欲しい1年でした。
救いを求めて、自殺遺族の語る会にも参加しました。でも、同じ自殺遺族だからと言って、すべての人と気持ちが通じ合う訳でもありませんでした。妻の見てきた苦しみと、親や兄弟の受ける苦しみは、時に相反するものであるのです。
重量挙げの重量損失
だけど皮肉な事に、遺族会に行くと、私は遺族の親達にとても気に入られてしまいます。きっと、死んだ我が子に見えるのでしょう。素直そうに輪に座る私の心の中は、本当は醜い言葉を投げかけたくて。だんだんその苦しさにも耐えられなくなり、遺族会にも行く気がなくなりました。
そのあたりからです。腰が立たなくなりました。
理由は簡単。あれだけ毎日夫と病気と戦っていた日々は、止まってじっとしている時間がほとんどありませんでした。でも夫が出て行ってから、やる事がないのです。急激に筋力が衰えたのです。
そしてもうひとつは、夢を見るから。
夢でも夫は自殺します。
ごめんオレ、自殺しちゃったと連絡が来てかけつけると、さみしそうな夫がそこに居て、血を拭き取ってあげるんだけど、だんだん夫の体が砂のように崩れて行く。その崩れた手や足を、体に付けるのだけど、夢でももう無理なんだな、と分かっている。だけど夫には気づかれないよう、大丈夫とはげましながら、もげた手や足をはめてあげる。
目が覚めると、硬直しすぎて腰が立てない。
立てない日々が続き、布団の中で過すと、体が不自由になる不安がよぎる。
そして、ああ、夫はこれ以上の不安の中何年も過してたんだ、と言う事が分かる。「自分を責めない」なんて無理なんです。
本当に、ほんの少し、差し伸べる手が近ければ。一人の差し伸べる手が少しであっても、2人3人と集まれば、きっと届いたはず。命を粗末にしたのは、私を含めて、救わなかった人達なんだと気づきました。
あの日・・・
ドアをぶち壊してでも部屋に入れば救えたかもしれないのに。本気にしない彼の家族を、殴ってでもあの日アパートに向かわせれば、今もここに居たかもしれないのに。
もしもの想像を繰り返しては、現実に彼のいない事を痛感し、つまらない毎日をなんとか過してきた。
そんな1年でした。
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