Xfit—体づくり、フィットネスのためのトレーニング・栄養情報 - 肥満と屈辱の長いトンネルを抜けて……
Surina King どのくらいさかのぼって話をすればいいでしょう? 体重が120ポンド(54.4kg)あった幼稚園の頃でしょうか? 168ポンド(76.2kg)あった小学校4年生の頃でしょうか? 高校1年生のときには、体重計の針は249ポンド(112.9kg)を指していました。学校の廊下で、同級生たちから「ジャバ・ザ・ハット!」(映画『スター・ウォーズ』に登場する巨大な怪物)などとはやしたてられ、辛く屈辱的な思いをしていました。
泣きながら家に帰る日々が続き、すっかり学校嫌いになりました。体育の時間を欠席する許可をとるために、両親の筆跡を真似してサインをしたりもしました。心の痛みをいやしてくれるのは、食べものと芸術に対する関心だけでした。私は想像力を駆使して、自分の理想の体を絵に描きました。その頃 、身長はすでに5フィート10.5インチ(約178cm)あったので、体重を減らすことができれば素晴らしい体になれると思いました。引き締まった体を手にするための長い旅は、このとき始まったのです。
挫折の日々
まず試したのは下剤ですが、これは気分が悪くなり、思うようにうまくいきませんでした。そこで、女性のためのフィットネス・クラブに入会したいと、両親に頼みました。そして入会してから4カ月後、体重は229ポンド(103.9kg)に落ちました。「やった!」私は自分が描いた絵に確実に近づいていると感じました。でも、それも束の間、体重はすぐに238ポンド(108kg)へと増えてしまったのです。
金融不安
減量のためのセミナーには何カ所か足を運びましたが、挫折の連続でした。自分を律するという厳しさに欠けていたため、1週間後には途中で投げ出し、別のセミナーに移っていました。セミナーではいつも1週間分のスナックとパックされた食品をわたされていましたが、帰宅途中にスナックを全部たいらげ、その夜遅くには残りの食品も食べてしまうという有様でした。いま思えば、なんというお金と時間のムダづかいをしていたことか!
それでも、高校時代に、自分が運動が好きだということに気づきました。エアロビクスのクラスやウエイト・トレーニングは楽しみでした。でも、こうした運動の成果を減量に生かすことには、決してなりませんでした。高校の最終学年 でもまだ肥満体でした。でも、「絵に描いたような体にするんだ」という思いは、一度も捨てませんでした。
栄養士のアドバイスを受けるようになると、体重は202ポンド(91.6kg)まで落ちました。正しい食事を摂り、運動を行い、ビタミンを摂りました。でも、何かが欠けていました。どうしても200ポンド(90.7kg)を切ることができなかったのです。「あなたは生まれつき小さな体向きではない」とか、「200ポンド(90.7kg)よりも体重が減ったら、体をこわす。それがあなたの自然な体重だ」などという人もいました。思い通りにならず意気消沈し、体重はさらに増えていきました。23歳のときは220ポンド(99.8kg)になっていました。何も効果がありませんでした。裸になった自分を鏡で見て、「私のどこがおかしいのかしら? どうして思い通りにならないのかしら?」とよく泣いたものです。
貪欲に打ちこむ
最後の望みをかけて、私は地元のジムに入会しました。男性ばかりの場所でしたが、気にしませんでした。このときは、"使命感"のようなものがあったからです。
「私に話しかけないで。私のほうを見ないで。こっちに向かって息をするのもやめて」
そんな気分でした。でも、私はこのジムの雰囲気によって励まされ、やる気がわき、トレーニングやフィットネスの本をたくさん買いました。『マッスル&フィットネス』誌もそのなかにありました。それぞれの筋肉の機能を知り、かつて自分が描いた絵のような筋肉にする方法を学びたいと思ったのです。
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このジムに入会して4カ月後、体重がついに200ポンド(90.7kg)を切りました! 私はお祝いに、ランニング・シューズを一足買いました。さっそく走ってみて、それまでその存在さえ知らなかった筋肉が動くのがわかりました。そのあとの2〜3日間は、筋肉痛がかなりありましたが、体の調子は最高でした。
私はパーソナル・トレーナーのトレーニングも受けました。でも、それぞれの筋肉の適切なトレーニング方法、トレーニングの頻度について学ぶには、2回のセッションで十分でした。「これでもうわかったわ!」と、このときは思いました。でも実際には、これだけでは十分ではなかったのです。特に、トレーニングにバラエティをつけたいと思いま� ��た。そこで、ランニングやステップ・エクササイズ、ステア・クライマー、バスケットボール、自転車、水泳も行い、さらにウエイト・トレーニングも行ったのです。「これはいい。わかった、やっとわかったわ!」
私はついに、答えを手にしたのです!
体にはエネルギーがあふれ、じっとしているのが大変だったくらいです。ランニングをすれば、まるでカモシカになったような気分でしたし、ウエイト・トレーニングを行えば、ライオンのようなパワーを感じ、ウミガメのように伸び伸びと泳いでいました。そして、食事もしっかりと摂りました。生きるため、体に栄養分を補給するために、食べたのです。
新たなライフスタイル
昨年の夏、高校の10年ぶりの同窓会がありましたが、当時のクラスメイトたちは、私を見ても誰なのか、ほとんどわかりませんでした。実は同窓会の前に、当時と比べてどれだけ変わったのかを実感することがありました。
ガソリンスタンドで車に給油していたときに、一人の男性が近寄ってきたのです。図々しい態度でしたが、私を感心して見ているようでした。私はすぐに、彼が高校時代、学校の廊下で私のことをあのいまいましいあだ名で呼んだ人物だとわかりました。でも、彼のほうは、じっと私のことを見ていましたが、私が本当に高校時代のあの同級生なのか、自信はなかったようです。「もしかしたら、君のラストネームはキングでは?」と尋ねた彼に、私はこういって、車に戻っていきました。
「違うわ。"ジャバ・ザ・ハット"よ!」
現在は、体重を172〜175ポンド(78〜79.4kg)の範囲に保っています。3月には初めて、マラソン(ボルチモア・アナポリス・トレイル)に出場しました。また、自分のエネルギーをどうしても人と分かち合いたいと思い、パーソナル・トレーナーとエアロビクス・インストラクターの仕事も始めました。体重オーバーに悩んでいる人にアドバイスができることに、特に大きな喜びを感じています。
私はいつも、「これが自分の新しいライフスタイルなのだ」といい聞かせています。確かに、衝動的な食欲に負けてしまうこともありますが、そのあとにどうすればいいのかは、もうよくわかっています。もちろん苦しいときもありますが、トレーニングは大好きですし、活動的な生活にこの� ��えない喜びを感じています。
人生は、岩や小石が無数にある川のようなものです。でも、川は流れ続けます。私も、挫折を乗り越え、自分の人生を歩み続けていくのです。
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